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凛とクッキー





凛との出会いは15年くらい前のことだろうか。

凛。白戸家(ホワイト家って読んでね)のお父さんにそっくりのワンコ。
とっても幸せな一生を全うしたワンコ。


凛は夫の姉K子さんの家に飼われていた。当時2歳くらい。
K子さん宅はその頃痴呆症のお舅さんと元気なお姑さんとの同居で
そのお舅さんというのがまったく口をきかないのに凛をよく可愛がって
私達の手土産の和菓子も テーブルの上の鶏の唐揚も おせんべいもどんどん与えてしまう。

お昼に頼んでくれたお寿司の桶に顔を近づけて全部チェックするし
お夕飯に炊こうとしているお赤飯用の小豆が漬けてある水をペチャペチャ飲む。


いくら犬が好きな私でもそれはちょっと不快だったし 問題があると思った。
 
でもこの家で事実上采配を振っているK子さんは笑いながら軽くたしなめる程度。

私は夫に囁いた。 『これじゃ凛ちゃんはきっと糖尿病になるわよ』
私のこの言葉は悪魔の呟きにも等しく 事実そのとおりになってしまった。
でも凛が発病したのはこの10年後で それまでもそのあとも
皆に溺愛されながら欲しがるものを与えられていた。


ウチのわんすけと決定的に違うところは
小豆の最中を欲しがっても お爺ちゃんと仲良く半分こで充分満足すること。
どんなにお肉が好きでも唐揚だったらせいぜい食べて1個。
ドッグフードは食べない。他に美味しい物がいっぱいあるから。

ウチのわんすけだったら 最中の一箱くらい食べてしまうだろうし
肉と名がつけば甘かろうが辛かろうが最後の一切れまで。
ドッグフードも食べるし 他にもっと美味しい物があれば勿論食べる。




痴呆症のお爺ちゃんの傍らにはいつも凛がいて
ナデナデされながら 同じものを食べていた。
オヤツをもらう凛も嬉しいし あげるほうも嬉しいのだ。


糖尿病ではあっても凛は13歳を過ぎた。

耳の遠くなったお婆ちゃんは大声で怒鳴るように話す。
K子さんの孫が子犬を連れてよく泊まりに来る。孫は3歳くらい。
子犬はなにかとキャンキャン吼えるし
孫はオモチャを落としたり叩いたりとてつもない音を出す。
それでも凛はそういう音に驚くことはない。


口の聞けないはずのお爺ちゃんが犬の名前を呼ぶ。
すっかり足腰の弱くなったはずのお婆ちゃんが抱き上げる。
そのたびに嬉しそうに尻尾を振る凛。
可愛い孫の声にも子犬の声にも尻尾を振る。

さほど広くもないリビングの片隅で半年ほど寝たきりで
とびかう皆の声を聞きながら 
目は見えなくても慣れ親しんだ生活音の中で
凛は天国へ旅立った。






私は一代目のゴールデン・レトリバーのクッキーを
初めてこの凛に会った数年後に亡くしている。
二代目犬の今のシンと同様に 食欲との戦いだったから
いろいろな制限を必要とした。


塩分はダメ タマネギはダメ 食べすぎはダメ。


10歳ちかくになったとき口の中に悪性の腫瘍ができた。

『どうしますか?』 と獣医が言った。


抗がん剤の治療をすれば2年か3年は長く生きられるということだった。
その治療をしなければ何の保障もできないというものだった。
その治療には数回の入院を必要とし 薬代を含めかなりの金額を提示された。

その金額はクッキー3匹分だね 買い直したほうが安いね と私達は笑った。

クッキーを一番可愛がっていた父は入院させるのが嫌だった。
クッキーは一度も家を離れた事がなかったから。
私達は迷った。もちろん30万円以上という金額にも躊躇した。



あと2年。老い先短い父がクッキーとあと2年暮らせるなら。
治療をすることに決めた。

が それは以前にも書いたように失敗に終わり
薬が“合わなくて” 第一回目の抗がん剤投与でクッキーは死んでしまった。
腫瘍があるとはいえ昨日まで元気で普通にご飯を食べていたのに。
入院した翌日に大きなダンボールの棺に入って帰ってきた。



もしも治療費がもっと安価だったら
反対に治療に踏み切ることはしなかったかもしれない。
薬の危険性を冷静に考えられたかもしれない。
クッキーの余命と30万円を天秤にかけることに罪悪感があったのだ。

わけもわからず家族と離れて初めての場所で不安だったろうに。
2年という寿命を延ばそうとして私はクッキーに一番残酷な事をしてしまった。
捨てられたかと思ったかもしれない。
最後は・・最後はそばにいるべきだったのに。
大丈夫怖くないよって触れていてあげたかったのに。
大好きだよってわかって欲しかったのに。



たくさんの我慢を最後まで強いられたクッキーの10年間と
望むまま14歳ちかくまで生きた凛。
控えめにいっても 最後の時間をリビングで過ごせた凛は
とても幸せなワンコだったと思う。




クッキーを亡くしてから私は犬についてすごく考えた。
その思いは堂々巡りで答えはまだ出ていない。
あまりに悲し過ぎて 一つの仮説をたてている。
犬は犬。人間は人間。
きっと犬は人間より単純にできているはず。

だからこの仮説によれば
謝ったら許してくれるはず。クッキーもきっと許してくれているだろう・・・と。
最後のときを迎えたとき人間ほど辛くなかったのではないかと。
都合のいい話である。




犬と人間のボーダーラインを決めるのは飼い主の責任だと思っている。
そしてそのボーダーラインとは個々に違っているものだ。
どこの家も同じであるはずがない。無理をしてはいけない・・・。
無理をして愛することはできないと思うから。


抗がん剤を使うのも使わないのも飼い主の考え方でよいと思う。
食事の与え方もそれぞれの考えでよいと思う。
さまざまな我慢をさせる心の痛みと付き合うかどうかも。
大事なことはそのワンコに向き合っている飼い主の真剣な責任感であると。



K子さんは寝たきりになった凛を本当に良く介護していた。
凛は自分の病名など知りもしないし あるがままに
寝たきりであっても心地よいまま尻尾を振りながら逝ったのだ。





ここまでつらつら長々と綴ってしまいましたが 最後に私の友人の話を。
ワンコではなくニャンコの話なのですが・・

高齢の瀕死の猫を 毎日毎日思いつく限りの世話をしていたのですが
獣医さんにこれ以上の回復は絶対にないと言われ 安らかに逝かせることを決意して
それでも数日悩みに悩んで ようやく決心できてその旨を伝えて病院へ連れて行く直前に
その猫は息を引き取ったというのです・・・。
ちょうどその日がその猫の寿命の尽きる日だったのでしょうか。

『あのこは私に辛いことをさせないようにしてくれた』 と友人は信じています。

こんなふうに考える事ができる・・もしくは 本当に猫がそうしてくれたという
現実と奇跡のボーダーラインを温かく曖昧にしてくれる偉大な力が
愛した動物にはあると思っています。 






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by sogno_sonyo | 2012-07-09 01:28 | わんすけ

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